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奇跡の発音

「316円、なのですが。」
「え、あ、すいません。」

12日の午前2時ころ、なぜか甘ったるいコーヒー牛乳を飲みたくなって、近くのオープンしたばかりのコンビニエンスストアに行って「小岩井ミルクとコーヒー」「SIMPLY DESIGN COFFEE」を購入したときのやりとり。この「あ、すいません」は、これまでの人生で幾度と無く口にしてきましたが、今回は人生で1,2を争うくらい綺麗な発音ができた気がします。惜しむらくは「すみません」ではなく「すいません」というところで、文書だけでなく、口頭でも正しい日本語を使いたいものです。

ところで、「惜しむらくは」というのは本来間違った語らしいですね。「惜しまくは」が正しいんだとか。なぜか変換できない。「願わくば」も、正しくは「願わくは」らしい。こっちは変換できる。

日本語の「変化」と「誤用」の区別はなかなか難しいです。先ほどの二つの例の場合は意味でなく形が変わっただけなので混乱は生じにくいでしょうが、「確信犯」なんかは意味がかわってしまうという問題もあります。僕のスタンスとしては、形が変わった言葉は知りうる限りで元の形で使いたいと思ってますが、意味が変わった言葉はそもそも使わないようにしています。さっき挙げた「確信犯」のほかに、「煮詰まる」(本来は完成に近づくことを表す)など。

まあ、それもちょっと限界があるというか、さじ加減が必要で、たとえばいまさら「洗滌」(せんでき/洗浄の本来の表記)なんて使うことはないですし、発音の面でも「消耗」を「しょうこう」と読んだりしません。でも、「重複」や「早急」「弛緩」はかたくなに「ちょうふく」「さっきゅう」「しかん」と読みます。これらを「じゅうふく」「そうきゅう」「ちかん」と読むと、自分の知性が低く見られる気がするんですよね。「固執」なんかは「こしゅう」と読むと逆に笑われそうですが。

ただ、そういう本来の読み方にこだわった結果、相手に正しく伝えることができないようでは本末転倒ですし、口頭ではやっぱり多く使われている(と思われる)読み方が一番いいのかな、と思ったり。文字にするときはやっぱり知りうる限りは元の形にコシュウするつもりですが、「独擅場」と書こうが「独壇場」と書こうが、意地悪な気持ちを持ってチェックしない限り誰も気づかない気がする。メイリオフォントだとサイズによっては「擅」の字が潰れるのでわかるかもしれませんが。

ホームランの感覚が忘れられないバッターのように、さっきからずっと「あ、すいません」「あ、すいません」と繰り返している僕は心底キモいと思った。